くろまる。の日記

躁鬱。私の感情と過去のまとめ。

根底に私を好きって気持ちがありますように。

盲目的に、好き、と思ってしまう。昔からそう。他の人からみてどうみえる等はかなりどうでも良く、私が大好きと思ったらとにかく大好き!!!っていう感情でいっぱいになる。私はどうやら自分での自覚のない変人らしく、かねがね女の子とつるむということがあまり得意ではなかった。程よさが分からなくて、大好きって思うと走って駆け寄って飛びついてしまい、それをみている知らない第三者の女の子達に「なにあれやば」と小声で囁かれるような、対人間という関わりがあまり上手ではない少女だった。ただ、犬のように愛情表現をしていた。全身で、好きって伝われー!って祈っていた。それは元彼に対してもそうで、私は目で付き合う前のそいつに好きだよってずっと語りかけていた。おぉ、18歳若気の至りってこわーい。でも、好きって伝えなきゃ、って、なぜかずっとそう思っていた。

好きな相手は、いなくなってしまうことがある。居なくなるというのは、相手がこの世に存在しなくなってしまうこともあるし、また、私と相手の間に歪みが出来てしまって好きとはもう伝えられない もしくは好きという感情が消えてしまう、結果いなくなってしまう、っていうことを言いたかった。前者については、どうしようもないくらい果てしなく苦しくて、私は夏が来る度に大好きだよと言いながら嗚咽を漏らすばかりだ。後者については、どうにか出来ることなのかもしれないけれど、人間というものは変わってしまうものだから難しいなぁと思う。

人間の変化というのは、よく「○○くん(ちゃん)は変わっちゃったね……」みたいな、そういう悪い意味合いで言われがちだなぁと思う。小学五年生の時に私をハブってきた元親友からそれを言われた時、「人の変化を悪と捉えることしかできないのか?そもそも変わった私というものを理解しようという気なんかこれっぽっちも無いくせに!」と思ったことを今でも覚えている……変なガキだなぁ。でも結局今でもこう思うから、人間というものの本質は割と幼い段階で既に出来上がってるんだろうなぁと思うなどしている。

変化というものは、素敵なものだと思う。何かに出会って何かを揺れ動かされてそれでもってきっと心とかが変わるんだろうから。簡単に言ってしまうと、成長してる、ってことと同義語に近いんじゃないかと。まぁただ難しいのが、出会うものによっては悪く変化していることも無きにしも非ずだよねっていうこと。ただそれを間違ってるって気付くのはきっと後からで、もしそうだとするならば今の私も実は自覚がないだけで間違った方向へ変化しているのかもなぁと思うこともある。

年齢を重ねるにつれ、必ず変化というものはあるよね。人間関係で言うと、私と君、どっちも変化しているから余計に色々関係性が変わっていくんだろうなぁと思っている。それを私は寂しく感じてしまう。

最初に戻るけれど、沢山好きって言ってた頃の私と今の私と今のあなたでは、何が違うのかな。何もかも変わっちゃったのかな。もう二度と口に出して「すきだよ!」って言うことは無いのかな。それとも、実はそこは変わらないところなのかな。例えば小学五年生で思ったことと今思うことが変わらないようにさ。私のことは変わらず友達!って君が根底で思ってくれてるって思えたら自信持てるのかなぁー、なんてね。