くろまる。の日記

躁鬱。私の感情と過去のまとめ。

夏の終わり、秋の訪れ

夜、外が涼しくなってきて少しづつ夏が過ぎ去ろうとしているのを感じる。

夏というのは、暑くて、地面も私の心もドロドロしてて、いっその事溶けて消えてしまえばと思わせる力がある。

夏が嫌いなまま夏を乗りろうとしている。

今年も花火も見なければ祭りにも行かなければ海にも山にも行かず、クーラーの効いた部屋にずっと居た。

 

秋はいいよね。過ごしやすい。涼しくなってきてそれが寒さに変わる時は切ないけれど。なんだか胸がギュッとなる。不思議な感覚。

 

あぁ、なんにも出来てない、とふと自己嫌悪に陥る。季節は移り変わるのに。皆何かしらをやっているのに。

主婦という肩書きを持っているけれど何一つしていない私は、正確にはニートだ。結婚してるから主婦って名乗れる、それは免罪符。

 

この間夢の中で解離した。やけにリアルで、なんだかなぁと思った。

夢で出来なかったことが現実で出来るわけないでしょう?これ、なんの歌詞だっけ。

逆も然りで、現実であまりにも出来ないと、夢の中でさえ出来なくなる。

 

思考を放棄したら負けだと思っている。けれども、思考を続けるということは、自分のダメなところを見つめ続けるということで、自分の首を絞める行為に近いと思う。1種の自傷行為のような。

でもそれをしないと、私の中の普通すら簡単に崩れてしまうようになるから、私という人間の軸がぶれないようにするためには必要な行為なのだ。

もはや崩れている、と、思う。でもこれ以上崩れる訳には行かない。

 

人間、どん底に落ちたら後は登るだけ、と言うけれど、自分の感じるどん底よりも深い谷が存在するということにみんなはいつ気がつくのだろう。

どんでん返しなんかないぜ、生まれて死ぬまでどん詰まり。山Pの愛テキサス。

 

自尊心が欲しい。自分を大切にできるのは自分だけ。自分で自分を慰めないと。

自己を卑下しすぎている人を見ると、人はイライラするから、ある程度の自尊心は保たねばならぬ。

でも、人生うまく行かなくなった時、色んなものを手放さなければならなくて、その中で要らないプライドとかを捨てることが出来る。譲れないプライドというものは持っていなければならないので加減はとても難しいけれど。

 

思えばプライドをかなぐり捨ててきた十代だった。積み上げてきた自尊心は容易く砕かれてしまったから。学歴とか過去の栄光とかを捨てなきゃ余計に苦しいから。

実際、過去のように上手くいかなくなってしまったのにプライドを捨てられない人は苦しそうで、なんだかもはや哀れだと感じてしまう。そのプライドを手放せば、もっと楽になれるよ。かつての君はそのプライドに見合ったことが出来ていたかもしれないけれど、残念ながら今の君にはできていないのだから。それは苦しいんじゃないかと思うよ。

 

谷に向かって転がり落ちる。頂上を見てしまうとあとは落ちるだけ。その落ちる時に余計な重りがあると落ちる速度が加速する。だから、手放す。どうにかこれ以上堕ちませんように、と、願う。

 

はらはらと、赤く染った葉が落ちるように、秋はもっと身軽にしていこうね。

ただ、根幹となる部分だけは見失わないように。