久々に文字に触れよう、と思った。
と書くとなんだか響きが重々しいけど、でも実際、本をぱったり読まなくなったり文章を書くことをしなくなったのは確かだから。
考えたらこのはてブロも高校退学後に夜中にやってたなぁ〜…と思い出す。
良くも悪くも人間は変化する生き物だから、仕方ない。色んなことを割り切って生きていくことって非常に重要だと思う。なので、周りの友達がそして友達同士でディズニーランドに行ったり美味しそうなケーキの写真をインスタに投稿してるのを見ても傷つかない…というと完全に嘘だ。僻みでしかない。就活とか仕事とかに打ち込む姿はとても素敵だと思うので、学歴コンプも何も無いし、ただただ応援したいな、と思うが。
現在の私は主婦だ。
これも体裁なので嘘である。
主婦というのは家事などをもちろんするはずだけれど、私は半年前に病気にかかったため何もしていない。
ベッドでほぼ寝て、たまにネットを見て、たまに元気な時に化粧をして楽しんで、起き上がるか寝たままかでご飯を食べる。もはや旦那が簡単な料理なら作ってくれるようになった。旦那は進化してるのだ、感謝。
誰も知らないだろうな、と思う。私も知らなかったし。病名説明する度に聞き返されるし。ですよね、って感じだ。悲しくもあるけど、それが現実。
あとは躁鬱なのでそもそもの起伏が激しい。ひたすら寝てるか永遠になにか仕事してるかの2択を繰り返して今日まで生きてきた。
話がズレかけた。インスタを見て妬む話をしようとしていたところだった。軌道修正。
まず、結婚をし、主婦になった時点で友達に会う頻度は減る。そして病気で寝たきりの時点で会うということはめっきり減る。
そもそも私の人間関係は狭く深くあった(と思っていたのは私だけな気がするけれども)のもあり、自信を持って友達といえる人が少ない。
それでもって、彼女たちは現在大学四年生の歳に当たるので、何かと忙しい。
社会人をしてる友達もいれば、就活をしてる友達もいる、夜の仕事をしてる友達もいる。多種多様な人生図だ。
私は友達と思っている彼女たちに会いたい。が、1Kの狭い城から1歩も出ない(物理)生活を送っているため、それは不可である。
会うためには、来てもらわねばならない。
病気になって動けなくなった、と話した時に彼女たちは「絶対会いに行くね!」と連絡をくれた。
…結果、9割は会えていない。
何度目かの「来月こそ行くね😭」の文章を最後に見たのは去年の秋頃か。
しかし彼女たちはインスタというキラキラした世界に最初に妬んで書いたようなことを毎日のように投稿している。
ほぅ、就活いそがしいのね、って感じだ。
というかそもそも、会いに来てもらわなきゃ会えないって相手に対しての負荷が大きい。
大体気楽に天神(福岡の若者の中心都市)で会いたいよね。
家に行くまでの労力使うなら、気軽にフッ軽な子とカフェ行きたいよね。だよね。
会いに来てくれる1割の子にはとても感謝してるし、大切にしていこうと常々思っている。
ここまでの話を一言で完結させるならば、寂しい。正直。
そんなこんなで人に触れるということがぱったり減った。
毎日触れるのは旦那。あと日替わりで来るヘルパーさんたち。
彼女たちは、お風呂などで私をわしゃわしゃ洗いながら、くだらない日常に触れて話を聞いて笑ってくれる。
ありがてぇなぁと本当に思う日々。
友達じゃないんだけどね。友達とは違うんだけどね。決して対等な関係になれなくても、でも、私にとっての社会との断絶を防いでくれている人達だ。
ネットは好きだ。特にTwitterに入りびたることが多い。ケータイには起きている間ほぼほぼ触れている。
特に動けなくなってから、非生産的な日々を過ごすうちに、ふと、肌を綺麗にすればいいのでは?と、思い立ってから毎日色々塗り込んでいる。
腕力も要らないし肌が綺麗になるし、とてもいい趣味だと思う。
そのうち美容アカウントを作り、いまはほぼそこに生息している。
しかし、人に触れるって勇気がいることだよな、と、つくづく思う。
例えそれがインターネッツだとしても、だ。
今になってフォロワーさんとお話出来ているが、変なことを言っていないか多々不安になる。
謎に突っ走ってしまうことや、嫌な気持ちにさせてしまうことがないか、私の気持ちが上手く伝わるか、送信する前にあの何十文字を推敲する。
している、のに。
夜は怖い。
深夜テンション、という言葉があるが深夜のテンションはなにかバグを起こしている。
小学生の頃から「夜に手紙を書いて翌朝読み返したら感情的すぎて恥ずかしくて捨ててしまう」ということで夜は何かがおかしいと思っている。
大概の夜のツイートは朝になって削除する。
しかし、まだあまり話したことの無いフォロワーさんにリプライを送っていることがある。
それで話しやすくなることもあるからいいのかも、しれない。
ただ、程よさが分からない。文面なのもあるし、相手にとって冗談だったことを真に受けて迷惑なリプでも送ってるんじゃないかとおもったりなんたり。
それでも、Twitterを辞められないのは、人と関わっていたいのだろう。
あの何十文字のやり取りが、私の社会であり、生活の一部となっている。
人に触れられたらなぁ、と思う。
もっと気軽に、気楽に。
文字にするととても簡単なことだけど、実際はかなり難しいことだなと個人的に感じる。
と、書いてみたが。
久々すぎたので文章の起承転結とか変だと思う、が、得意の深夜テンションで投稿しておこうと思う。
また気が向いた時に。