くろまる。の日記

躁鬱。私の感情と過去のまとめ。

パキシル、ダメ、絶対。

まじでパキシルはダメだな、と今、手術後の痛みに悶えながら思っている。

 

2年前、私は今思い出すと相当狂っていて、7階から飛び降りようとして手首掴まれて救助されたり、神社で腕を切ったり、ストゼロロング缶を毎日10本飲んでいたり、と、やばかった。

当時も彼氏である旦那と暮らしていたけどまぁその記憶が無さすぎる。旦那は止めてたらしい。覚えてない。ごめんな。

 

当時の記憶……思い出せるのは死んじゃった大好きなあの子とずっと一緒にいたこと(そこの記憶はしっかりある)、メイド服で7階から飛び降りようとしてたこと、目の前に並ぶ酒の空き缶、カミソリ、そんなもんしかない。狂ってる。

 

原因を考えた時、パキシルという精神薬では無いか?と思い始めた。当時ジャンキーだった私は精神薬を制覇してやるぞという心意気で薬をじゃんじゃか飲んでいた。パキシルもその一つである。

パキるって言葉があるんだけれども、意味合いとしては薬(市販薬等)をキメること。その由来がパキシルである。おっしゃ、パキるの由来だったら試すしかねぇよな!?と思った私は主治医にパキシルを強請り、処方してもらうことに成功した。

今振り返ると、パキシル最大量を飲み始めてからおかしくなった気がする。当時別段OD(オーバードーズ、薬を過剰摂取すること)(ODしてたころに知り合った友達にはドーズというあだ名を付けられ、未だそう呼ばれている)をしていたわけではなく、普通に処方された量を飲んでいた。

 

今考えると、本当に当時は異常だったと思う。髪の毛を真っピンクに染めて、怪しい仕事をし(合法)、パキシルやら他の薬やらじゃらじゃら飲んで、ストゼロを飲んで、んでもって上記に記載したような状態になっていた。

本当に今考えるとやばかったな、と思う。

 

当時飛び降りをした記憶すらなく、飛び降りをした後の記憶もなく、飛び降りをしてから手術した記憶もなく、手術の際に宮崎から福岡まで駆けつけてきてくれた父親(今となっては大嫌い)に「誰?」と言った記憶もない。

記憶があるのは飛び降りをしてから何日経ったのかすら分からない時にせん妄(幻想世界)をみていた状態と、激痛すぎて叫んでいた記憶。

そこから相当しばらく経ってから、救命救急にいることと、破裂骨折していることと、足首に鉄の棒がぶっ刺さってることなどを思い出せる。が。

 

やっぱ、パキシルやべぇな、とふと思った。

 

教訓。

パキシルはダメ。

 

興味本位でパキシルを飲むもんじゃねぇ、ほんとに。あの可愛い白とピンクの錠剤のビジュアルに騙されてはならぬ。

 

 

その時に入れられたボルトを抜いて激痛に耐えている今の、備忘録。