くろまる。の日記

躁鬱。私の感情と過去のまとめ。

うわごと

首しめると歯が抜けるって知ってた?ニュースで見たんだけど、こりゃ確かにって感じしたなんか歯が抜けそう常用禁止

なんでも常用禁止だよ、そう君のその爽健美茶にももしかしたらカロリーがいっぱい入ってるかも

カロリー高いものの方が安いってなんなんだろう、この世界はそこからして狂ってる

だいたい低カロリーダイエッターキラキラみたいなアカウントの料理見て原価考えて引く、無理だろこんな生活富裕層かよ毎食やせるトマトスープ飲め痩せるらしいよ私痩せなかったけど

安いパン詰め込んで吐くのと手料理食べて吐くのではやっぱり罪悪感はちがうけど、美味しいって感覚も違うけど、でも結果吐いちゃうのごめんねキチガイだわ

ねぇ0と100の間ってどこ探したらあるの?ベッドの下?めちゃくちゃ埋もれてんだけど、てか掃除しても出てこなかったよ〜

白か黒か、2つ二一つのDICEだよ、2面しかねぇから

白の私も黒の私も怒らないで

怒られるの怖いの、怒ってる声が怖いの

みんな南条あやについて調べてみよ🎶日記全部読んだ後にアーバンギャルドの平成死亡遊戯を聞こう🎶ネットアイドルの元祖だよ、死んだけど、彼女が高校卒業してすぐね

私と言えば薬集めも大概飽きたし、あきたし、秋田市秋田県、秋田犬、わんわん、わんわんかわいいねイヌ

わんわんとにゃんにゃん、どっちがすき?

わたしはどっちもー!

旦那は猫、私は動物で例えると何?ってきいたら、

色んな面があるからなぁ、キメラ?

っていわれたよ、キメラ。聞くところ小型犬と猫とうさぎさんとハムスターのキメラらしい。もふもふだね。嫁にキメラってパワーワードだよね。笑った。

動物は可愛い、人間のような愚かな生き物とは違う、殺処分されるのは人間でよくね?

大半の人間は優しくてすぐ裏切ってまた優しくするよね、そういう生き物なのかな

きっと私が死んでも心に残る人って数少ないと思う、数少なくてもいてくれるだけ幸せで、でも誰にも遺された苦しみは味わせたくないから誰の心にも残らなければいいのになと思う

私の青春は天神でギリ成人してる3つ上の友達に代理でタバコ買ってきてもらってその子と毎日過ごすことだったな、高校の思い出は無い。

そういや非通知で「おれだれかわかる?当ててみて?〇〇(旧姓)やろ?」って言ってきた若い男のアイツ誰だ。中学から高校卒業までと、いまでは電話番号が違うのよ。今の電話番号知ってるの誰?てかそもそも学生時代に男子と喋った記憶がねぇのよ。人とつるまないタイプの優等生だったので(優等生というところは否定しない)

お腹が空かないためには…胃を無くせ!!!極限まで胃を無くせ!!!

友達がインスタにあげてた理想の体型、私から見たら太ってね?って思ってしまって私の理想像からはかなり遠くて価値観〜ほえ〜ってなった。その子が韓国に留学してるのもあるかもだが。もしかしてこんなに痩せに囚われてるのって日本トップクラスじゃね?と思った私。

コルセットしてたら不正出血したわ、なんなんまじ子宮痛めつけてる自覚ねぇけどなぁ?

この世は意味不明で楽しい地獄だ🎶みんな、星野源地獄でなぜ悪いを聞こう🎶

あーーーーんカッターがほちいよぉしくしく

カッターがあればなんでも出来る!(厨二病的発言)(なんでもとはいってない)カッターがあれば空も飛べるはず🎶いや、飛び降りた方が空は確実にとべるね

みんなしなないでね悲しいから、じゃあおめーもって言われるだろうからいっつも耐えてるんだよぉわかる?ODもリスカもしてない、ただ躁鬱で貯金からしそうになってるだけ…拒食したり普通食嘔吐したりしてるだけ…起きられないほど寝すぎたり逆に眠剤キメまくっても寝れないだけ…こうやって全ての事柄に〜だけ、ってつけると大したことない感じが出るよねわかってるからよく使う。でも実際〜だけってのが積み重なっていくと爆発しちゃうよ♡

私のいまは人生か、はたまた余生か。どっちでしょうクイズで〜す!!!正解は病気が治らない限り余生でした〜残念でした〜

お母さんのことは大っ好きだけどさ、催眠療法はどうしてもこわいです、それでたとえ全てが治るのだとしても、どうしても体がお母さん苦手すぎた頃にフラバする

ラリラリしてる時は脳がとろける音楽がいいよ

クラッシックはむしろ目が冴えるからやめようね

知らないコンチェルト4章まで通しとかで聞いてたらげんかいかもだが

映画コナン見に行きたいけど、音に耐えられるかが不明で情報過多でうぎゃりそうでいけてない

見た人おすすめしてください。

どうもあざっしたー。

 

 

緩やかな閉鎖

「息をしに貴方はここに来ているんですね」

と、カウンセラーは言った。

 

今、私の生活は1DKの家が全てで、ひとりで世界を覗くことが出来ない。

ODでもしてやろうかと思っても家の横にあるドラッグストアさえ行けないし、そんなことして大っ嫌いな閉鎖病棟にぶち込まれるのは勘弁だし、入院費払うのしんどい。

カウンセラーとそんな話をしていて、カウンセラーが「息が詰まりますね」とぽつりと言った。

そうだな、とおもいながら、話し続けた。

この穏やか(危ない行為も何も出来ない)生活で私は安全だけれど心は苦しくて、これこそ狭いところにずっと閉じ込められているという意味では閉鎖病棟と変わらないのではないか、と。

緩やかな、閉鎖。

 

 

そして、文頭へ戻る。

 

そうか、とおもった。私は息をしにここに来ているんだ。

心配かけないようにって狭い空間でずっと私なりに頑張るのは、私にとって息が詰まる事なんだなと思った。

お守り代わりにずっと持っていた「死のうと思えばいつでも死ねる」もなくなってしまって、私は私が自覚してるより息苦しいんだな。

 

短文備忘録。

 

言葉が体内に溜まって私が爆発する話。

私は言葉にするという作業が大好きだ。というか、表現することが大好き。というか、そうやってずっと生きてきたから、それ以外が苦手だったりします。

幼い頃からバイオリンで表現というものを追求し、学校の休み時間には小説をひたすら読み、図画工作で能力を発揮する、そして数学がとても苦手という超絶偏った人生でしたので、それをいきなり変えることもできないのです。

3歳からのバイオリンは、表現力が命で(技術という根底があった上での話だが)、表現というものは感情がないとできないものだと思うのですよ。だから表現力=その人の感性、考え方が露骨に現れるという意味合いもこめて、私は小説やら音楽やらがとても好き。

その好きを拗らせに拗らせまくった結果、私は態度とか行動とかよりも何よりも言葉にするということを重要視するようになりました。

 

私は高校1年の時にプツンと何かが切れてしまって希死念慮に襲われる日々を送るうちに、死にたい、という言葉だけでは表せない、私の感情、すなわち言葉が溢れ出てくるようになりました。その言葉を見て見ぬふりをしていると、やべぇ行動を取ってしまうということも経験上自覚している為、言葉を体外に出す、という工程が必要なのです。

だからこそ、言葉が溢れて止まらない時にそれをスルーするということが出来ないわけですが、それについて来れる人というのは限られているんですね。まず旦那は無理です、思考力が低い、私と足して割ったら丁度いいくらいしか考えるキャパシティというものが無いので、私の言葉に着いて来れないのです。試したところ、20分が限界でした。しかし私の言葉の波というものは20分で収まる程度のものでは無いため(また論点がズレるとさらに時間を要するため)、不完全燃焼で、結局感情が処理しきれないままなのです。

元々精神的に狂っているところがさらに身体まで不自由になった今、感情は以前にも増して溢れています。

処理が出来ないと、私は体内に言葉が溜まって爆発します。

爆発してしまうとろくなことが起きないという、まぁ最初に表記したことをずっと繰り返し書いているような気もしますが、そんな感じで感情が乱れまくっている現在です。

 

こういう時、話せる相手はカウンセラーしかいなくて、カウンセラーは思考放棄するということをしない為(そういう仕事なのでしょうが)、私のこの濁流のような感情を一緒に処理してくれる唯一の相手なのです。非常に信用信頼していますし、先日「私は仕方ないという言葉で片付けたくない」と言って貰えたのがとてもとても嬉しくて堪りませんでした。

しかし、現在私はそんな愛しの救いであるカウンセラーと週1度木曜日のみにしか話すことができないという悲しい現実に直面しております。元々お忙しいということは重々承知しているため、週1度でもお話できることに感謝しているのですが、本心を言いますと、週1度では足りません。

だから、今日、賭けをしました。電話をし、何時でもいいのでお話する時間を設けていただけないかと。

結果、無理でした。

分かっていました、恐らく無理だろうなと。分かっていたはずなのに、傷ついているわたしはとても馬鹿だなと思っています。

手を差し伸べてもらえるなんてあまい考えもってるんじゃねぇよ、と、おめーのことなんざおめーで処理しろや、と。

昔の私は誰にも頼らずできていたはずなのに、ほんとに甘えですね。自己嫌悪でいっぱいです。ただ、昔の私はその感情を過食嘔吐リストカットなどでどうにかしていたのを考えると、どこにもぶつけようのないというのは苦しいですね。

腕を殴ったり頭を殴ったりするという古典的な方法もありますが、なんせ腕力がないため、青いアザになるくらいに自分にぶつけることができません。

そう考えると自傷行為というのは1種の自己表現なのだと思います。

ただ、一度、お前のことはお前でどうにかしろといま私自身に思ってしまったこの現状を、私は木曜日までに変えることができるのでしょうか。ちゃんとカウンセラーと話せるでしょうか。予定にも無い曜日にいきなり電話したとかなんか考えるともう話せないような気もしなくもなくて、きっと連れていく人がいない限り、またブッチしてしまうような気がします。連れて行って貰えたらどうにかなるような気もしなくもないです。もう分かんないです。どうでもいい。私なんかどうなってもどうでもいい。そもそも歩けなくなった私なんか堕ちる所まで堕ちたんだからどうしようもねーだろ。さっさとくたばればいいのに。私は私のことが大っ嫌いで、歩けなくなった私なんかもっともっと大っ嫌いで、ほぼ寝たきりでしたいことも自由にできない私なんかなんの価値もないだろ。私が私を見離せば全て済む話だったわ。死にもしない何時治るかもわかんない治療法も確定してないこんな病気になった時点でオワコンだし、そもそも精神科に通い出してもうすぐ8年目とか詰んでる。あーーーもうやだ。ほんっとにやだ。なんなんだよこんな人生。

もうずっと寝てたい。寝たきりになりたい。寝たきりとか屍と一緒だからだったらもはや屍でもいい気がする。

まぁ、死ねもしないので安心してください。生きるしかないので。生き地獄。あと、別にいま希死念慮に襲われている訳でもないです。絶望してるだけの話です。

感情を言葉にして体外に出さないと爆発する

うわぁってなってる。特に理由はない。そもそも今の日常とか私の人生が理由。

 

心の中になんて言ったらいいのかわかんない、でも確実に良くない感情が溜まっていって、その結果わたしは爆発して、心が肉片みたいに散りばめられてしまうんだけど。

これを防ぐには言葉にするしかなくて。感情を言葉として吐き出すことで私は私の自我を保てるというか。そうしないと保てないというか。

簡単に言えば、カウンセリング行かないとやばいって話。でも、残念ながらカウンセリングは週1木曜日なんですよねぇ〜〜〜死 木曜日ヘルパーさんの時間変更してもらおうと思ったら、超苦手な人になったし。うわぁ、もう、おれぁだめだぁ。

いやわかってるんだよ、耐えればいいんだよ。今まで、やってきたみたいに、耐えればいいんだよ。今すぐ激しく叫んで叫んで警察呼ばれてもいいけど、それもナンセンスだよね。今にも叫びそうだけど。

 

暴力反対。マイメロのクッションを3回殴って、ぽふぽふとしたけど、腕が痛くてたまらないのでやめた。

仮想的に自殺する、私が死ぬことはただ私が死ぬってことで、旦那を見捨てるということとは全く関係ないんだよな、感情。腕でも切らせて適度に発散させてくれりゃあいいものを、嫌がるからずっと我慢してる。

今だったら死ねると思う。死んでいいかな。どうなんだろ。ひとまずタバコ吸う。落ち着け。

私が他界しても君の命は続くんだよ。ねぇ、わかる?祭壇はピンクがいいな。んで、梅酒を供えて欲しい。死者だからといって百合とかじゃなくて、ピンクの、それこそ薔薇がいいな。

 

旦那が「夜中起こされると俺が早死する」と言った。「いいの?」と。わたしは「私も喪主とか手続きだけやって死ぬからいい」と答えた。きっと間違ってるよねごめんでも年の差考えてもそれでいいじゃんね。

 

 

私には、大好きな女の子がいます。姫って呼んでて、名前も姫が入ってて、本当に姫みたいな女の子で。

死んじゃった。線路に飛び込んだ。

今でも私の家には姫コーナーが作られてて、姫から貰ったものとか、姫の遺品とか、飾ってあって。

その時、姫は正気だったのかな。何考えてたのかな。何も考えられなくなってたのかな。

ねぇ、わたしもそっちいっていい?

言葉にすることに挫折しないこと

カウンセリング行ってきた。結果、週1で通うことになった。本当はもっと多い方がいいけどね、って。安心した。

やっぱ先生すごいなと思ったことを忘れないように書いておこうと思う。

「あなたが前にカウンセリングに来れなくなったのも、言葉にはできないくらいの感情に押し潰されてしまった時だったような気がします。だから、言葉にするという行為を出来なくならないようにしなきゃいけないですね。」

結局考えれば前にカウンセリングをブッチしたのも、首吊る前だった。わたしの中でどうにもならなくなってたんだと思う。自分では気づいてもいなかったが。

 

私がこの先生が大好きな理由を思い出した。

「話してる内容」ではなく「「話してる内容」を話している私の様子や前後の情報」まで洞察されて先生の中で噛み砕いて言葉にしてくれているところ。

思考と言葉を両立させるってすごく大変な事だと思っていて、そこにさらに視覚と聴覚、そして記憶からの情報も加わったら、なお大変だと思う。それを、先生は(お仕事とはいえ)、丁寧にしてくれる。言葉1つしかり。

だって言ってしまえば返事するだけなら簡単じゃん。そうだよねぇそうなんですかぁへぇ、って感じだし、最近のギャルなら、まじ?やばうけるで通じる。それを話を聞くにランクアップさせるとハードル上がるよね。まぁさっきの単語でいけるんだけどさ。それでもその人の話してる内容とかその人の気持ちを考えることしか出来ない。

先生はさ、 話の内容とその話をしてる気持ちと、それに加えてその話を客観視して私の見えない私の姿を見せてくれる。それも、言葉を選んで。

それってプロって言う理由だけなのかな。だとしても、本当にすごいと思う。

 

言葉がとどまらないように。

なんなんだろ、言葉を吐くという文字通り、私は呪いみたいなものを吐き出していて、それを停止させると体内が泥で詰まってしまうのかも。それとも、生コンに近いのか?(生コンとは生のコンクリート、時間が経つ前の液状のことです)

言葉にするってエネルギー使うよね。言葉が苦手な人はもちろん、言葉が好きな人間でも、感情とか言葉とか色々選んでたら疲れる。でもそれでもそれをしたいし、つーかしないとダメになるし、だから私は表現して生きて生きたいってずっと思っていた訳だし。それに、きっとそれ以上のエネルギーを使って対峙してくださる先生に感謝。

 

感情のステージに上がってこい。

カウンセリングの先生

明日、今日か、もう。

久々にカウンセリングの先生に会いにいく。

先生は私が普段通院してる病院では無い病院に勤めてらして、イケメンだった。確か結婚指輪してあった気がする。例えるならば、北村匠海くんをシンプルにした感じ。年齢予測37?当時の彼氏に教えてもらった音楽の話がことごとく通じるので、だいたいそれで年齢を当てている。そこで考えるべきならば、40くらいと思うべきなのだろうが、なんにせよ顔がいいので若く見える。正直、30と言われても信じる。しかし、その先生はいつも目が死んでた。死んだ魚の目をしている、と私はいつも形容していたが、果たして奥さんの前ではどうだったのかな、なんて、思う。

20歳の時ぶりに行くので、とても久々である。今見たら40歳くらいのビジュになってたりするのかな、と思ったり。通わなくなった理由は私が外に出たく無くなったから。ブッチした。先生ごめん。

それでも、普通ブッチしたはずならほかの先生を選びそうなものを、その先生がいいと私が今回言ったのは、やっぱりその先生と話している時に救われたんだと思う。

 

先生は、私の代わりに私の感情を言葉に出してくれた。私が昔から苦しい時に笑いながら話すのを、周りの人間はまだ大丈夫じゃんと思うところを、先生は「あなたが笑いながら話す時に私は苦しくなる」と言ってくれた。私自身、言われるまで笑ってるとか気づいてなかったけど。防衛反応なのか、なんなのか。

私は多分模範的な患者ではなかっただろうから、カウンセリングの最中に色んな話をした。音楽の話とか。まぁ、それもその音楽の世界観が伝わらなかったら意味が無い行為なんだけど。でも、その先生には伝わるんだよなぁ。それこそ、hideはもちろん、黒夢とかDIR EN GREYとか。THE YELLOW MONKEYはそんなに?だったかも。でも靖子ちゃんの曲とかも若干知ってて(ほかの患者さんに好きな人がいたのかな?)、話す度に少しずつ聞いてきてくれてた。私が言わんとしてる気持ちとか、そういうのをぶつけてる音楽の話とか。そういうところ、私が責められない空間、死んだ目をしていて、男だけど男という威圧感のない先生と私の2人だけの空間がすごく好きだった。

だから今回、カウンセリングを受けるとなったら私はこの先生一択だったのだ。

 

今回カウンセリングを受けようと思ったのは。そろそろ、毎日笑顔でいるのに限界が来たんだよ。旦那に今日もなにか嘆いてしまって色々言われた。爆発しちゃうよ?って念押ししたけど、私はやっぱり上手く出来なくて、その中でどうにか上手くしようとして、カウンセリングしたら、その先生にだったら話せるかもしれないと思って、主治医に頼んだ。

とても忙しいみたいで定期的に時間が取れる枠は、旦那にどう頼んでも厳しい曜日で。だから、明日1回行って終わるのかもしれない。分からない。多分一回行って終わるとしたら、私は終わると思う。私は笑って話すのかな、それとも、泣くかな。先生の前で泣いたことなんかないけど。いっつもSOSを出せないから、私なりに頑張ったつもりで、だからこれで次がないなら、私はもう頑張ったからいいよね、って思えるくらい。

 

とはいえ、20からの事柄をなぞって話していくと、私の伝えたい率直なところって伝わるのかなぁ、とか。いろいろありすぎた。

 

いま、DIRを聞きながらずっとこれを打っている。なんとなく、DIRを聞くと、カウンセリング受けに言ってた頃に時が戻るから。

ふと思い出したことがある。元々病院の近くに住んでいたから、歩いて通院してたんだけど、そこを追い出されて一人暮らしの家になってからは原チャリで行ってたけど、初めて路上で乗った時に一時停止無視で捕まったんよね。それがちょうど病院に行く途中で。行ってそれ話して。次回行った時に、「今日は、捕まりませんでしたか?」ってとっても穏やかなトーンで(でも恐らく多少のジョーク混じりで)言われた時に、なんか、ウケたし、嬉しかった。

 

あー会いたいな、と思う。本当は前みたいに週3回とかがいいけど、今無理だからね、んでもって明日の1回で終わるかもだし。

 

 

 

当たり前の、バグ。

なんか、今の私の現状を再び思い知らされて、果てしなく悲しくなっている。

 

元々メンタル病んでから、会える友達というのは限りなく少なくなった。だから、その少ない友達を大切にしてきた、つもり、だ。

その時はその時で人生がしんどすぎて死ねねぇかなぁと日々願っていたけれど、その中でたまにでも友達と会えたことは嬉しかった。

 

今。

私は1人で外に出れないし、外に出たところで10分後にはぐったりしていることが多い。先月、外に何回出れました?って思う。2回?もちろん1人では無理。

デフォルトに「体の倦怠感(インフル)」って感じなんですよね。それがちょっとでも酷くなるともちろん起きてらんない。だから、大丈夫、って日にできるとしても、3時間起き上がってられるか。

基本、狭いベッドの中に、ずっといる。

 

無理してでも出れたらいいのにね、と思う。そうすれば、好きな人に会うことが出来るのだから。

例え私にとって数少ない友人と思っていても、相手からしたら数多くある中のたったひとつなわけで、だから、友達はベッドの上にいるしかない私には用がないのだ。それに会いに行くほど暇じゃない。

結果、向こうにとって私が大切かは分からないし、おそらく大切に思ってくれていたら、連絡でもなにかしらでもしてくれるんだろうなぁと思う。今会いに来てくれる数人を果てしなく有難く感じる。  でも。

 

1人で動けない私はもはや屍か?ならいっそ殺せよ。狭いベッドの列車で天国旅行に連れてってくれ。

 

いまも毎日、考えれてみれば生き地獄だった。これが当たり前ってなって受け入れかけてる私が、おかしいのか?何かしら不自由な人はみんなそうなのか?悲しむことはしないのか?

きっとこれでも「入院して管に繋がれてなくてたまには外に出れるだけ幸せなんだよ」と言われるのかもね。人はさらに辛い人と比較してしまう生き物だから。それが言葉を発した人にとっては励ましだとしても、私にとっては呪いでしかない。

そこまでの状態でもないのに弱音吐いてごめんなさい。もっと辛い人も沢山いるだろうにこんな風に考えていてごめんなさい。

 

人との関わりが極端に薄い旦那には、仕方ないじゃん、って言われた。まぁそうですね。分かってるんですよ。仕方ないもん。何をどうしようと、すべて仕方ないんだから。あなたがいるから生き地獄を普通の感覚にごまかせて生きてられるのかもね〜と思うけれど、あなたと私の考えは全く同じでは無いし、全く同じな人間なんてつまらないでしょう?いつも、あなたの他人への冷淡さと私への愛が、私の自我を守ってくれているんだな、と思っている。私の生きがい、生活の意義、こんなでも私を見放さないという安心。まぁ、あなたと過ごすうちに私は人を信じるということを辞めましたけどね。傷つくくらいなら容易く信じるべきじゃないし、信じていても結果こうやって傷つくんだから人なんて信じない方がいい。

あのとき、も、セーラー服、も、あの子の話も顔、も、諸々付随する記憶なんて全部全部忘れてしまえ。

 

あーもう現実からいなくなりたいなと思う。旦那と二人きりの世界にいっその事してくれればいいのに。

もはや既に、この、人に会わない生活というのが非現実的だよなとは思っていたが、こうやって現実社会と触れ合って喜んで傷つくくらいなら、もういっそ辞めてしまいたいなと思う。

 

私の城は、この1DKのシングルベッド。

ここにいるし、逆を言えばここにいるしかない。

 

さよなら、外でしか会えない人たち。酔っ払っていくカラオケ楽しかったよね。本当は行きたかったよ。先週の同窓会の写真、みんなキラキラしてたね。

こんな記憶も、私の頭の中から、消してください。

 

 

 

まぁ、もしかしたら、既に私は非現実に隔離されていて、窓の外も全部、作り物だったり、してね。